カウンセリングについて

自らの完全なる受容と、自らの気づきと理解、そして自らの問題解決を側面からサポートするための手法を研究開発しています。特に、陰陽理論を人間学で考えたパートナーシップ、すなわち人間関係の根本性をを重要視したカウンセリングを推進します。

カウンセリングとは?

カウンセリングとは、様々な理論や研究結果で立証された心理技法を用いて、クライエントである相談者の悩みや問題を解決へと導く行為の事です。現在行われているカウンセリングの形は、来談者中心療法(相談に来た人を中心にカウンセリングを行うこと)といわれ、アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャーズが創始したものです。彼は、今では当たり前となっている面接内容の記録・逐語化や、心理相談の対象者を患者(patient)ではなくクライエント(来談者:client)と称しました。後に人間研究センターを設立し、「エンカウンターグループ」の実践、研究に携わり、各国の紛争地域でエンカウンターグループを実施し、世界平和に力を注ぎました。1968年には、その記録映画のひとつ『出会いへの道(Journey into Self)』がアカデミー賞長編記録映画部門で最優秀作品賞を受賞しています。

エンカウンター(encounter)とは、「(思いがけない、偶然の)出会い」のことです。心理の世界では、出会いやこころとこころのふれあいなどを意味します。エンカウンターグループとは、数人が集まってお互いに率直に感情を出し合い、他者との出会いを体験して、人間的な成長を目指す方法のことで、人間が人間らしくなるための一つのアプローチです。エンカウンターグループは、大きく分けると構成的グループと非構成的グループという方法があり、構成的グループは、ファシリテーターがリードをして、課題を与えたりエクササイズをさせたりするグループ、非構成的グループは、課題も役割もなく、内容も方法もメンバーが決めていくグループのことです。

このエンカウンターグループは、ロジャースのカウンセリング論の大きな特徴を象徴しています。その特徴とは、人間に対する楽観的な見方にあります。人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。つまり、人間はこの世の中の生物として、自己の素質や能力などを発展させ、より完全な自己を実現してゆくことができるという見方です。この見方が根底にあるため、カウンセリングの使命は、この自己成長と可能性の実現を促す環境をつくることにあるとしています。自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こります。カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し尊重することによって、クライエントが自分自身を受容し、尊重することを促すのです。

日本では今の所、明確なカウンセラーの基準が無いので、誰でも自分がカウンセラーだと言えばまかり通ってしまいます。人生経験が豊富だから自分をカウンセラーだと名乗り、人の相談を受けようという人も、大学、大学院、または学会に所属する専門機関等でしっかりとした教養を身につけ、経験あるカウンセラーのスーパーバイジングの下、数百時間に渡るカウンセリングを行い、それら教育機関を卒業後カウンセラーとして活動を始めた人も、どちらも「カウンセラー」なのです。

カウンセリングの本場アメリカでは、カウンセリングは保険が使える立派な医療行為です。アメリカでは、カウンセラーは最低修士号までの学位の習得および数百時間のインターンを終えてなければなりません。それほどカウンセリングというのは難しく、責任が重いのです。そのような、カウンセラーの養成を厳しくしているアメリカのカウンセリングに対する考え方や位置づけは、どのようなものなのでしょうか?

アメリカ

1900年代初頭、アメリカの職業訓練所に設置された相談機関が心理カウンセラーの始まりとされ、現在ではカウンセリングを受けることは日常的なことという位置づけです。

その理由として、ドラッグやアルコールなどの問題が蔓延し家族環境や社会情勢などが複雑だという事も上げられますが、そもそも、カウンセリングの対する考え方や心の中に自分では対処できないくらいの悩みを抱えることは誰にでもある普通のことと認識し、カウンセリングを受けること、つまりメカウンセリングを受けなければならない状況に自分があることモを、恥ずかしいと思ったり人生の中で人に知られてはいけない秘密とまで思うようなことはそれほどないようです。カウンセリングを受けるということは、とても日常的であり、特別なことではないと理解しているようでした。むしろ、かかりつけのメマイ・カウンセラーモを持つということはうれしいことであり自慢さえできるそうなので、アメリカ人にとってはとても身近にカウンセリングというものが存在しているようです。

アメリカ人は、自分の心の中で起こる悲しみ・怒り・辛さ・苦しさなどを、持ってはいけない感情・起こってはいけない現象などと抑え込むのではなく、全てはどれも自分の中でおこる素直な感情であり、自分のものとして受け入れ認め理解しよう、自分の感情や現実の問題と向き合おうとする姿勢が強いようなのです。そして、カウンセリングを利用するということで、そういった感情そのものやその感情のもととなる自分が陥ってしまっている現状への対処の仕方を学ぼうとします。

だから、アメリカでは「切羽詰ってから行く」というより、日ごろの「自己管理」「メンテナンス」のために上手にカウンセリングを利用しているようです。特にアメリカ都市部では「カウンセリングに行かずに、よく自己管理ができるね」という会話が持たれるほど、街中のあらゆる処にカウンセリングルームがあります。日本で言うところのメマッサージルームモのような存在で、「ちょっと疲れたから、寄っていこう」という感覚で訪れるような場所なのです。カウンセリングに対するイメージが、日本とはまるで違うのがわかります。また一流ビジネスマンともなると、お抱えカウンセラーがいることも当たり前となっています。何と言っても、成功者には3つステータスがあります。1つ目は、アメリカは訴訟社会ですので顧問弁護士、2つ目は、アメリカには健康保険制度がないので、かかりつけの医師、そして3つ目に顧問カウンセラーをつけるということです。カウンセリングの受け方も様々で、カップルで受けるカウンセリング、家族で受けるカウンセリングなど、社会全体にカウンセリングが浸透しています。それだけ、欧米人のメンタル面がもろく、問題の多い社会なのかも知しれませんが、「社会性の高い人ほど、自身のメンタルケアを大切にしている」という考え方も社会に定着していることがうかがえます。

アメリカで、多いカウンセリングでのお悩みは人間関係、特に夫婦関係(離婚、家庭内暴力など)、カウンセリングに来るほとんどの方の思考はネガティブなので、いつも気持ちが晴れません。ですからカウンセリングでその気持ちをどんどん前向きに変えて行く訳です。また、子どもたちへのカウンセリング(ドラッグ、不良青年、暴力、近親相姦、お酒の中毒など)などもあり、早くて6歳から通い始める子どももいるそうです。そういった状況ですから、子供を専門にしているセラピストも多くあります。また、牢獄にも専門のカウンセラーがいて、服役中の犯罪者が精神症状が少しは良くなっているかを判断したり、精神的なトラウマが解消できるように話を聞いたりします。 セラピーっていうのは、病気を治すというより自分を再発見することだと思っています。「私って○○○な人だと思っていたんだけど、実はこうなんだ」という発見の喜びを与えるものなんです。

アメリカで話題の新カウンセリング

ドラマセラピー

セラピー、というと美容系(アロマセラピーなど)と誤解されがちですが、アメリカでは主に “カウンセリング”を指します。ドラマセラピーとは、その名の通り、演劇テクニックを使って自分の内面を覗いていく心理療法で、突き詰めていえば、子どものころ夢中になった“ごっこ遊び”みたいなものです。セラピストとクライアントが、互いにストレッチや動きをまねしあったり、相手の足踏み競争など、 遊んだり、真似をしたり、顔を動かしたりするうちに、お互いがお互いの分身のような、親近感が沸いてきます。そのあとに、今の悩んでる自分や不安な自分も演じてみます。自分を客観的に表現して見ることができるのです。そんな、“役”の後ろに隠れながら自分自身を表現し、探っていくことです。ドラマセラピーは体を動かしながら心をほぐし、自由にする、そんな全く新しいカウンセリングなのです。

イギリスから始まった電話ボランティア

1953年、イギリスの牧師チャド・バラーは、セックスカウンセラーとして相談にのるうち、初潮を梅毒とまちがえて自殺した一人の少女への悼みから、聖書の福音書の中の「よきサマリア人」に由来する「サマリタンズ(Samaritans)」という電話相談組織を作りました。最初バラーがひとりで相談を受けていましたが、この活動が新聞記事になると電話のベルが鳴りつづけ、専門家も含めて多くのボランティアが協力奉仕するようになり、「良き友になる(befriending)」ということが、自殺予防の決め手になることに気づいていったのです。その後、運動は西ドイツ、フランスを始めとして、ヨーロッパ各国に広がっていきました。また、1964年3月、シドニーでもライフ・ライン(lifeline)という名で電話相談ボランティアが始まりました。「ライフライン」とは「いのちの綱」を意味し、後にオーストラリア全土、ニュージーランド、北米、南米、日本、台湾、韓国へと広がっていきました。一人ひとりの「いのち」を大切にする市民運動として、全世界に広がっていったのです。

現在では、世界数十カ国に400センター以上を有する大きな組織に発展し、多くのボランティアが活動を続けており、日本では「いのちの電話」として1971年10月1日、東京でスタートしました。1日24時間、365日、鳴り続ける電話のベルに、ボランティアが対応し、相手の声にじっくり耳を傾け、気持をほぐし、問題解決のために他の選択肢がないかとともに考えるのが、サマリタンズの自殺を防ぐ哲学です。

日本でのカウンセリングイメージ

日本でも昨今ようやくカウンセリングに対する理解が少しずつ定着してきましたが、一部では「心を病んだ方が受けるもの」など、いまだにネガティブなイメージがつきまとっているのも事実のようです。また受けられる方の中にも、ギリギリまで独りで苦しんでどうしようもならなくなった最後の手段という概念があります。どうやら私たち日本人は「自分の悩みや問題は自分の力でなんとかしなければならない」という思い込みが強いようです。そこには「こんな問題(自分)を人に話すのは恥ずかしい」という、日本特有の「恥」の文化による影響があるのでしょう。事実、日本を含むアジア諸国の方々は「メンタルケアが必要なのは自己管理ができていないからだ」と自分を責める節があるようです。

日本には「恥の文化」や「和をもって尊しとす」など、昔から「集団の中にある個の在り方を意識する」という独自の感じ方や価値観があり、これまでの私たちの生き方のベースになっていました。それがここ数十年の間に欧米型のワーキングスタイルやライフスタイルが輸入され、今や「個の独自性」を追求する「自己責任」の時代。職業や生き方の可能性は広がったものの、人の和(輪)の中にいてこそ得られていた安心感、安定感が感じづらい世の中に変わってきています。古い価値観と新しい時代の常識の狭間で、目に見えないストレスを体験している人も多いのかもしれません。
最近のニュースで多くなってきた無差別殺人や家族内での殺人。その根底の原因は、自分の中の全てがわからず、受け入れられないことにあります。それは、幼い頃から今までに、誰からも自分をまるごと受け入れてもらえなかったからです。本来なら、カウンセラーでもボランティア電話でもなく、一番受容しあって愛し合うところは家族です。マザーテレサも「家族を大切にしなさい、愛することはまず家庭から」という言葉を残しています。子ども時代に、親からすべて受容される、つまり、無条件で愛されていれば、子どもは受容された経験から、自分のすべてが好きになり、他者も自然に受け入れることが出来る人間に成長します。

カウンセリングというのはつまり、子どもに戻って、親にしてもらえなかったことをカウンセラーにしてもらいながら、自分の中のあらゆる面を受け入れていくことなのです。

アメリカは、自分の気持ちをオープンに表現する文化だから、カウンセリングも気軽な捉え方をされているのには頷けます。

私も以前は、カウンセリングといったら正直ちょっと身構えてしまうところがありましたが、結局自分発見という楽しいことなので、素直に自分を表現するいい機械として、ポピュラーに活用されてもいいものだと思います。

それにしても、自分の全てを受容していない人に、他者の受容は出来るわけ無いので、カウンセラーという仕事は生半可な仕事ではありません。

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